Cityかまがや110号 インタビュー
 93歳で 写真展を開催した 大野宗蔵さん

鎌ケ谷の自然の 美しさを 伝えたい



3月10日から16日まで93歳で写真展を開催。会場の三橋記念館には42点の作品が展示された。半数は自宅にて撮影したもので、鎌ケ谷にこれほど美しい自然が存在したのかと、大きな感銘を受けた。  昨年6月梨の袋かけ作業中、熱中症にかかった後、話すことにすこし支障があるということであったが、お嫁さんの道子さんの通訳でインタビューをお願いした。

ぷろふぃーる 大野宗蔵(おおの・そうぞう)1920年鎌ケ谷村中沢に生まれる。鎌ケ谷中学校PTA会長、鎌ケ谷市議会議員等を歴任。 子供3人、孫7人、曾孫7人。  

■ シャッターチャンスは早朝に ■
―写真を通して本当に素晴らしい自然が残っているのだなと実感したのですが。
 朝早く起きてその時を待ちます。東方向はグリーンハイツの建物がみえるのですが、梅雨時期の早朝、光が少し見え始めると、グリーンハイツが消え、近くの景色だけが写ります。

―ハンの木が何とも言えない茜色の風景のなかで、やさしい空間を作り出していますね。  
 待っている時間が長いんですよ。写真の半数以上が自宅で朝撮った写真です。ここは湿地帯で、蓮もたくさん撮りました。大賀蓮はアメリカのハスに比べると弱くてね。ここも県の調節池計画に含まれているので、立ち退かなくてはならないので、囃子水公園へ蓮を移しましたが、育っていますかね。

―今度確かめてみます。写真を始めたのは、いつごろから?
 あじさいの会に所属して、本格的にやるようになったのは20年くらい前かな。いい先生に巡り合えて、先生も二人目です。また仲間もみんなやさしく、女性が多いんですが、今回も皆さんで応援してくれました。仲間っていいですね。 こんな不自由な体になったけど,みんなで支えてくれて、写真展はいい目標になりました。7日間頑張って通いました。たくさんのお客さんに見ていただいて感謝しています。

―戦争の頃もカメラを持っていたと伺いましたが。   
 
はい。私は酒もタバコもやりませんから、配給のタバコなどとフイルムを交換して、出征する人たちの写真をたくさん撮りました。それは当時の資料として郷土資料館に保存されています。

―戦争にはいかれたのですか。
 志願兵で行きました。実は特攻隊の試験に落ちましてね。試験に落ちたからこそ、生きて帰れた。一度の試験に落ちたからといって、悲観することはない。別の道がまた開けてくるから、と子供たちにはよくいいました。昭和13年陸軍戦車学校(津田沼)に入学し訓練を受けました。太平洋戦争中は戦車兵として南方へ転戦しました。

■ 勉強会 ■
―戦後はどんなことを
 うちは材木屋でした。中沢は山林が多くて、三橋彌の三橋家と四天王と言われた飯田家(屋号:六兵衛、三四郎の2軒)、笠川家(屋号:七郎右衛門)、浅海家(屋号:儀左衛門)でほぼ全部を持っていました。材木屋は注文に応じて、どの木をどのくらい切るか、どのように製材するか決め、元山(木を倒す人)や木挽(木を挽く人)に指示し、売った現金も地主や職人に材木屋が分配しました。炭も焼いていたんですよ。戦争から帰ってから、梨もやりました。  そういえば農家の長男を集めて、「はぐるまの会」っていうのを作りました。誰が欠けても歯車は回らないよという意味です。のこぎりの目立てや農機具の修理の仕方を教えたり、みんなで勉強したわけです。もうその人たちも70歳を超える年ですが。

―なかなか器用だったのですね。
 戦争中は戦車隊でしたので、機械やのこぎりはお手の物でしたが、文字を書くのはダメでしたね。いつも私の言うことを妻が代筆してくれていました。でも64歳で亡くなって…。妻も「わかば会」とか「婦人会」とかを作っていました。

―皆さん向学心に燃え、意欲的だったのですね。
 そうですね。何とか鎌ケ谷をよくしたい、自分もレベルアップしたいという意欲にあふれていた時代です。社会に出てからの勉強はとても大事ですから、指導員などにも来ていただいて、みんなで向上を目指していたと思います。 ―お嫁さんによると精神訓話が多いということですが、どんなことをおしゃっているのでしょう。  「憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」

―それはどういう意味でしょう。
 辛いことがいっぱいやってきても、いいじゃないか、自分がどれだけ耐えられるか試してみようじゃないか。来るなら来いというような意味です。

*  *  *  “「遅疑逡巡することはその方法を誤るより不可なり」平成11年4月14日”和紙に書かれたその言葉は嫁・道子さんが宗蔵さんの言葉に心動かされちょっと待ってくださいねとメモしたものだ。「結果はどうあろうと人間迷ってやらないより、やったほうがいい」という意味で、私もどんなに父に力をもらったことか。本当に素晴らしい人です。だからと言って、決して自慢しない、謙虚な人です、と。  大野家は昨年10月の台風で床上浸水の被害を受けた。その傷跡も生々しく壁に黒ずんだ線が残っていた。大柏川第二調節池計画内のため、写真に映った風景が消えゆくかと思うと残念でたまらない。公園のような形でこの自然を残す道はないのか!大野さんの夢である。