タウン情報誌 Cityかまがや100号   小金中野牧と縄文人   絵・サリーちゃん 文・鉄人28号 

 「小金中野牧の話はもう飽きたわ」と呟いた発行人を無視して拙文を用意していた矢先、未曾有の大地震が東日本を襲った。  そのため2回ほど中断したが、前々々号で宣言したとおり、さらなるお付き合いをお願い申します。  また、この間に馬と牧に関係する?出来事もあったので、当初予定していた拙文は次号以下で紹介させていただくことにします。

 さて、その出来事とは名馬「シンボリルドルフ」のことである。  競馬ファンならずともこの名前を見聞きしたことのある読者は多いのではないだろうか。  「シンボリルドルフ」は、2歳の83年夏に新潟で新馬デビュー。圧倒的な強さで3歳牡馬路線の主役に躍り出ると、日本競馬史上初となる無敗(8連勝)でクラシック3冠馬(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)に輝いた。  85年には天皇賞・春、ジャパンカップを制し、連覇となる有馬記念でG1・7冠馬となった。  翌年、米国でのレース中に故障を発症し、そのまま引退した。  国内では一度も3着を外すことのない、まさに王者の走りっぷりから、「皇帝」とも称されていた。  シンボリルドルフは、04年に種牡馬を引退し、成田市十余三のシンボリ牧場で功労馬として余生を送っていたが、10月4日老衰のため死亡した。30歳であった。

   さて、シンボリ牧場やシンボリルドルフの「シンボリ」という名称は、牧の遺構である野馬除土手に付随する野馬堀に由来する。  「シンボリ」に対応するのが「コホリ」で、本市に残る村絵図に表記があり、両者は牧の範囲の変遷を物語る歴史用語である。  シンボリ牧場の位置は、佐倉七牧の一つ、最後の開墾地となった矢作牧のはずれにあたる。  一帯は享保期の新田開発により牧域が縮小され、隣接して新たな野付村である一鍬田村(現多古町)ができた。当然ながら、牧と村の境には新たに野馬除土手と野馬堀が造られたのである。  「シンボリ」の誕生である。