Cityかまがや111号 鎌ケ谷の自然を訪ねて110

野馬土手がこんなに 身近にあった、なんて…    写真と文 秋山秀一
 身近にあるもので、日頃気にも留めず特別な価値があるものとは思わず、何気なく見ていたものが、あるとき、話を聞いて 「へー、そんな価値のあるものだったんですか?」  と、驚くことがある。 知る、ということの大切さ、素晴らしさ、そして、知らないことの○○…が、そこにはある。 「鎌ケ谷にも、そんなものがあるんですか?」  と言われりゃ、 「ある。鎌ケ谷にも、ある。すごいものが…」  と、強く、いいたい。  鎌ケ谷市内にある唯一の国史跡「下総小金中野牧跡(捕込・野馬土手)」である。  本物の馬を連れて来たり、寄席を開いたり、と、定期的にイベントが開催されるようになって、「捕(とっ)込(こめ)」については、ちょっとは知られるようになってきたようだが、もう一方の「野馬土手」についての認知度は依然としてかなり低いまま。そのことがずっと、気になっていた。  では、もっともっと知っていただこうではないか。ということで、今回は、鎌ケ谷市内で今、実際に見ることができる「野馬土手」について、専門家のIさんと一緒に歩きながら撮った写真を中心に、いくつか紹介することに…。  「明治13年の陸軍の測量図が正確な測量してるんですが、それと、江戸時代の絵図を合わせてみると、絵図も結構正確なんですね」  野馬土手の位置を記した古地図を見ると、鎌ケ谷の自然を生かした配置になっていて、谷津がかなり重要な役割を果たしていることがわかる。  




写真①市役所がバックに見えるこの土手は、「大込土手といって、捕込に野馬を追い込むとき、効率化を図るために袋状に」 構築されたもので、捕込のそばにある。














写真②:先に見える土手は①の大込土手を内側から見たもの。Iさんの立っている所に、一旦2~3百頭もの野馬が追い込まれた。  野馬土手には、野馬除土手と勢子土手、それに、大込土手がある。野馬除土手は野馬の里入りを防止するために牧と人が暮らす村との境に構築されたもので、勢子土手は野馬捕りの効率化を図って、牧内に構築されたものだ。





写真③は、初富小学校校庭西側に残る野馬土手を撮ったもの。これは勢子土手で、土手がかなり残っていて、野馬土手の雰囲気がよくわかる。ここには、案内板があって、ここに描かれた地図を見ながらこの説明を読むと、野馬土手のことがよくわかる。ここは、必見の場所だ。  「自分の学校の中に国の文化財があったなんて、日本国内でもそんなにあるわけではないので、初富小の児童にはその辺誇りを持ってもらいたいですね」 と、Iさん。  
バイパスの道路が作られ、かまぼこ型に野馬土手の断面が見えるようになったところが、写真④。




 
写真⑤は、稲荷前三叉路から東武団地へと通じる道に残る、野馬土手の跡
 


写真⑥は、鎌ケ谷一丁目ふれあいの森に残る、牧と人が暮らす里との境に構築された野馬除土手。写真の道路は、牧の中。ふれあいの森を歩くと、そこは、牧の外。  野馬土手を訪ねて、鎌ケ谷市内をゆっくり散策。こんな街歩きの楽しみがあっていい。これ、日本全国広しといえど、鎌ケ谷でしか体験できないこと。おススメですぞ。 (旅行作家・大学教授・旅楽舎代表)