Cityかまがや117号

『小金中野牧と縄文人』34   絵・サリーちゃん   文・鉄人28号  
『鹿碑・瘞賜豬碑』いきなり難読漢字の羅列で恐縮ですが、「ろくひ・えいしちょひ」と読みます。 
 それらは、東京都豊島区の指定有形文化財で、JR山手線駒込駅から徒歩五分くらいの集合住宅地内にひっそりと佇んでいる。

 さて、鹿と豬という文字から、徳川将軍家による鹿狩を連想された読者がもしもいたら(多分いないと思いますが)、脱帽します。
 鹿碑は、寛政七年(一七九五)、十一代将軍家斉の鹿狩に同行した旗本本郷大和守泰行(やすあき)が、一大行事の有様を後裔に伝えるため造立した石碑である。  当時、本郷氏は禄高2千石の御側衆として仕えていたことが、国立公文書館所蔵の史料中に見える。  鹿狩の後、泰行は牝鹿と子鹿、さらに牡鹿と皮を賜り、それを行縢(むかばき)・禦武の具とした。
 将軍から下賜された貴重なものなので、その功績及びありがたさを子孫に伝えたいという思いがあったことは想像するに難くない。
 
 豬碑は、嘉永二年(一八四九)、一二代将軍家慶の鹿狩に随行した泰行の孫、本郷丹後守泰固(やすかた)が、祖父に倣い造立した。
 この時、泰固は禄高五千石の御側御用取次で、安政四年(一八五七)には加増され、一万石の大名となり若年寄に昇進している。
 碑文の大意は、「丹後守泰固は、将軍から猪一頭を、息子である近江守泰清は兎一頭を下賜された。振り返れば、先祖の泰行も牡鹿を一頭下賜された。獲物は内臓を除去し、皮を取り別野(下屋敷)へ骨を収めた。祖孫ともにあずかった光栄を石碑に刻むことにより、後世に伝えていくものである。」
 江戸後期、駒込周辺には旗本・御家人の武家屋敷が広がり、本郷氏の下屋敷も所在していたことが江戸切絵図に見ることができる。
 都教育委員会によると、大名・旗本が自身の事蹟を石碑に記し残している例は稀有であるという。  今後も小金中野牧跡に関連する新知見が得られる可能性がある。本史跡が有する歴史・文化財的価値の奥深さを感じた次第である。