Cityかまがや117号 鎌ケ谷の自然を訪ねて116   
大仏界隈を、 佐藤武雄さんと歩く 写真と文 秋山秀一

「いつも先生の原稿、読むのを楽しみにしています」 「私も、いつも、読んでます」  市役所で委員会の打ち合わせのときに、そんなことを言われると、思わず、ニッコリ。この『City かまがや』を読んでくださっていることに、である。

 創刊以来、29年。たいしたんもんだ。編集部の皆さん、そして、このタウン情報誌を応援している市民の皆さん。ありがとう。素晴らしいことである。しかも、創刊号から書かせていただいた、なんて、こんなに嬉しいことはない。  そんな感謝の気持ちをなんとか形にできないものかな~、と、ずっと考えていた。といっても、ぼくにできることは、書くことしかない。で、考えた。そうか、できることをやればいいんだ。書けばいいんだ。ということで、実は、『City かまがや』に書いた原稿をベースにした本が上梓されることになった。本のタイトルは、『鎌ケ谷 まち歩きの楽しみ』(新典社)。最初のころに書いた原稿、区切りの原稿、それに、最近のものが載っている。この本のなかには、改めて、鎌ケ谷のことを考えるときのヒントのようなものがあるような気がする。いろいろな人に読んでいただければいいな~と、思う。一家に一冊、ぜひどうぞ…(笑)。

 ついでに、もう一冊、本の紹介。『世界、この魅力ある街・人・自然』(八千代出版)という本が2月に出た。月刊『マネジメントスクエア』(ちばぎん総合研究所発行)に5年に渡って執筆してきた「旅の達人が見た 世界観光事情」のなかから世界各地について書いた28編をチョイス。世界一周するように、書かれている。こちらも、是非、ご一読を…。
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 この辺りで、今回の、本題に入ることに…。以前、このコーナーにご登場いただいた私市冨士彌さんの話をお伺いしてから、「市内に暮らす人の話を聞きながら、一緒に歩きたいな~」という気持ちが以前にも増して、強くなっていた。   で、今回と次回、2回にわたって、佐藤武雄さんと一緒に歩くことに…。それに、もう一人、東京から参加の、常連Hさん。

 市文化財審議会委員でもある佐藤さんは、昭和16年の生まれ。 「昭和39年、オリンピックの年に、中学校の教員で来たんですよ」  という佐藤さん。今、5校ある中学校も、当時はちがった。 「中学校は1校しかなくて、家庭訪問で、自転車で市内あっちこっち回ったんですよ」 「当時はまだ舗装道路じゃなくて、砂利道で…。船橋の市域に入ると、舗装されてました」 「東京オリンピックが終わってから、舗装されるようになりました。市役所も、今の図書館のところでした。まだ、町役場でしたね」 「野馬土手、大仏の十字路のところにあって、船橋との境目になってましたね」  など、その当時の詳しい話を聞きながら、鎌ケ谷大仏駅から歩き始めた。 八幡神社の前へくると、 「この鳥居も、3月11日の地震で倒れたんです」  今の鳥居は、仮のもの。叩くと、中が空洞になっているのが分かる。 「ここに、庚申塔が百あるんです」  と言う佐藤さんと、境内のなかへ。この百庚申、1841年から1842年にかけて、2年間で造られたもの。市の文化財だ。  境内の奥、右手に、庚申道標が建っている。 「これ、もともと十字路にあったものが、ここに移されたんです。一里塚の跡なんです。塚があって、その上にあったんですよ」  この庚申道標の、台座の左右に、〈東さくら道〉、〈西こがね道〉と書いてある。 「これ、小金はあっちですから、向きは逆ですよね」  と、佐藤さん。  置き場所が変わると、道標としての役割がなくなって、神社を訪れる人が見やすいように建てられた、ということのようだ。  18世紀の末に造られたもので、下の部分に、三猿が彫られている。  浅間神社もある。 〈明治3年北口登山大願成就〉と記された立派な石碑も建っている。明治初め、富士講が行われていた。 「これ面白いんですよ。普通道祖神っていうでしょう。これ、道路神ってなっているんです」  土台がコンクリートの土台の石碑の後ろに回ると、昭和9年に23歳の男が寄付した、と書いてある。  歩いてみると、妙な発見(?)も、ある。これも、楽しい。  この後、十字路から、魚文の碑へ…。続きは、次回へ…。 (旅行作家・大学教授・旅楽舎代表) ▶写真①八幡神社の鳥居の前で ▶写真②八幡神社の境内に、百庚申の庚申塔 ▲写真③大仏十字路に建てられていた道標、庚申道標 ▶写真④富士北口登山、大願成就の石碑