Cityかまがや118号 鎌ケ谷の自然を訪ねて117

家、屋敷林、畑、その先に林。鎌ケ谷の風景を訪ねて       写真と文 秋山秀一

 前回、鎌ケ谷大仏駅を起点に、佐藤武雄さんのお話を伺いながら、木下街道に沿って北へ、ほんのちょっと歩いた。  今回同様、東京からやってきたHさんも一緒で、歩きだすとすぐに鳥居の話から始まって八幡神社にまつわる話で盛り上がってしまった。そのため、大仏十字路を越えて、魚文の碑まで歩いたところで、「続きは次回に」、ということになった。今回はその続き、ということで、鎌ケ谷大仏駅に集合。  
 八幡神社の前を素通りして、大仏交差点まで歩き、船橋市との市境の地形について再確認。道の変遷や道標のことなどを話題にして、すぐに、線路の南側へ歩いて行くことに…。

 〈配給所前〉というバス停留所を見て、Hさん、興味を示す。 「戦後あった配給所の名残です」  と、すかさず、佐藤さん。  松丸商店の看板に、「米」とある。  今では考えられないが、戦後間もない頃の食糧不足の時代、主食の米は配給制だった。その配給所がここにあったのだ。  ふだん、住んでいる人にとっては見慣れてしまって、気にも留めなかったことを、他の街からやってきた人は、「何でかな?」と思う。そんなことが、しばしばある。そこには、旅人の目が、あるからだ。  人が行ったり来たりして交流することは、いいことなのである。そういう目をしっかりと持ったHさんと歩くことは楽しい。
  「駅に近いのに、何でここにも停留所があるんですかね?」  そう言われてみると、これまた、「何でかな?」で、ある。

 この一つ船橋よりのバス停は、東部小入口。延命寺の前にある。 「昔は延命寺って、言ったんです。そこが、鎌ケ谷宿の外れだったんです」  少なくなってはいるが、木下街道沿いには、まだ、昔から続く民家が残っている。そんな民家の脇の道を、西へ。ケヤキの木を見て、 「今は、4本ですけど、元はたくさんあって…。ここが、地境だったんです」と、佐藤さん。 「木下街道沿いに家があって、その奥はほとんど畑で、その先に行くと林だったんです」
 そんな風景を想像しながら歩く。  アパートの間の空き地の先に、地境の大木が何本も並んでいる。 「この幅で、一軒の家だったんですね。およそ、百mぐらいありますかね」  木下街道ができたのは、寛永年間。家光の時代。 「この道、昔のままって、感じですね。新しい道を造るときって、真直ぐに造るじゃないですか」

 駒形大明神は、馬の守護神。鎌ケ谷の史跡・「牧」と関係がある、鎌ケ谷市指定の文化財である。祠の中には、馬の頭の骨と駒形霊王が祭ってある。鎌ケ谷市教育委員会の説明板を読みながら、マスコットキャラクター「のまっきー」の絵を見て、ニッコリ。   

 昔の農道だった道を歩き、〈鎌ケ谷二丁目ふれあいの森〉の前へ。 「前は、この辺り全体が、こんな感じでしたね」  そこに立って、ぐるりと一周すると、木下街道の方から、順に、家があって、屋敷林があって、畑があって、その先に林。そんな昔ながらの風景を見ることできる。 道端に、畑の方を向いた、小さな馬頭観音。「向きが逆かな」って思っていると、佐藤さん、 「もともとそっちにあったものが、住宅ができて、そのまま平行移動して反対側に移ってしまったので、畑の方を向いてしまったんです」 「大正9年って書いてあります、9月20日ですね」と、Hさん。 「飼っていた馬が亡くなって、弔いのために建てたんです」
 電柱の脇の、目立たないものにも、それぞれに歴史があるのだ。

 午後3時過ぎ、東部小学校の元気な児童たちが、通り過ぎていく。  東部小学校に沿った道を東へ歩いて、木下街道、延命寺前に出る。「鎌ケ谷宿成立時の町並みは、鎌ケ谷大仏の所から、ここ延命寺までの範囲でした」  〈東部小入口〉の下に、〈延命寺前〉と書かれたバス停留所。  延命寺境内、塀の奥に設置された水準点を見て、境内の大きなクスノキに挨拶してから、鎌ケ谷宿の宿屋だった鍵屋の前を通って、鎌ケ谷大仏まで歩いた。 (旅行作家・元大学教授・旅楽舎代表)

▲配給所前というバス停留所がある▲駒形大明神 ▲地境に大木が並んだ ▲電柱の脇にひっそりと、馬頭観音が… ▲水準点がある