Cityかまがや120号 2016年冬号 特集

Cityかまがや ―創刊30周年―
“人と人のかけはしに”    30年を振り返る

《編集室のあゆみ》  バブル景気の中で  創刊号発刊
 

 創刊号発刊は1987年(昭和62)1月15日。年4回欠かさず発行、やっと120号にたどり着いた。
 子供たちが少し成長し、そろそろ手が離れ始めたころ、東部公民館講座「地域情報誌づくり教室」(1986年6月~7月8回開催)に参加した。講座終了後、メンバーの半数10名がタウン誌発刊に向けて、準備を始めた。  30~40歳代の主婦と定年退職後の男性2名でスタート、取材をはじめるうちにメンバーは15名になっていた。資金は鎌ケ谷市内の事業主さんをまわり、広告協力を依頼、賛同を得ることができた。事務所は鎌ケ谷中央印刷の2階を借りた。

 鎌ケ谷市は1958年(昭和33)8月1日人口1 1、498人で村から町となり、1971年9月1日4 4、760人の市となった。  昭和30年~40年代は高度成長時代、農村地帯から住宅都市へと変容し、市制10周年を迎えた鎌ケ谷は (1984年) 市民体育館開館・貝柄山公園開園。(1987年)  梨ブランデー・ワイン販売開始、新図書館、郷土資料館開館、南初富コミセン・鎌ケ谷コミセン開所。 (1988年)  くぬぎ山コミセン・児童センター開所。陸上競技場完成。東野少年野球場完成。国際交流協会設立。 (1989年)  南部公民館開館、慈祐苑開所。など次々と新しい建物や新規事業が続いた。そんな時代のせいもあって、タウン誌も市民の皆さんに温かく迎えられた。形のない冊子への事業主さんからの応援に皆感激したものだった。

市制20周年記念事業創作劇「おしゃれな縄文人」を上演、市民エネルギーが一つになった

 1991年(平成3)市制20周年。人口は9 6、368人、世帯数2 9、966。この年 ・北総線「新鎌ケ谷―高砂」開通。 ・鎌ケ谷警察署開署。 ・北中沢コミュニティセンター・児童センター開所。 ・リサイクルセンター稼働。 ・総合福祉保健センター開所。 ・東初富テニスコート完成。 ・市の花「ききょう」「梨の花」に。 ・市の歌「きらり鎌ケ谷」が誕生。 ・生涯スポーツ都市宣言、緑の都市宣言。

 市では20周年記念事業として市民から20の事業を公募した。編集室ではそれまでも主催講座として料理、パン・ケーキ作り、房総祭り寿司、フラワーアレンジメント、年賀状教室あるいは人形供養などを、市民の中に先生を見つけて開催していたので、市民の力を信じた。そこで、中沢貝塚取材時の感動をもとに創作劇を作り、上演することで応募、審査に合格。  約1年をかけて1991年9月29日、体育館での2回公演を行った。4歳から78歳まで公募で集まった約200人のスタッフとキャスト、2000人余りの観客を集めた。まさに無事上演できたことは奇跡であった。市民の中には素人もいれば、プロもいる。演劇は様々な分野の人間を必要とした。洋裁の得意な人、大工仕事、音楽、踊り、そして料理の得意な人は差し入れなども。うわさを聞きつけて、プロの方々もアドバイスに来てくれた。市民の力が一つになって、この瞬間が生み出されたことを思うと、あのころにはこういった市民エネルギーがあった。誰かに言われてやるのではなく、自らやってみようとする心もバブルで大きく膨らんでいた。

様々な活動を 62号からホームページを作成  
 
 やがて鎌ケ谷に文化をという意識が高まり、Cityかまがや主催講座のほかにも市内で活動している文化人の支援をする「ふるさと応援団」活動や、又その一環として「道楽座」を結成、鎌ケ谷在住声優の故曽我部和恭さん演出の「ガラスのらせん階段」を三橋記念館にて上演した(97年10月19日)。  また周年記念ごとに、各界で活躍するミュージシャンを招聘し、音楽にふれる機会を作った。

創刊記念コンサート(1987・4·15)出演者は公募により、ロックからおしゃらく踊りまで
2周年記念プレゼント(1989)協賛会社さんからのダイヤモンドネックレス他豪華プレゼント
3周年記念コンサート(1990·2·10)地元ピアニスト渡辺一史さん
5周年記念コンサート(1992·6·6)地元歌手佐瀬光代さん
10周年記念コンサート(1996·11·3)石松元さんら4人のジャズライブ
50号記念コンサート(1999·7·18)新谷のり子さんの歌
15周年記念コンサート(2002·1·20)渡辺香津美さんのギターと鎌ケ谷高校卒谷川公子さんのピアノ、地元俳優江上真悟さんの朗読、ミネハハさんの歌
20周記念コンサート(2007·1·21)スズキ清勝さんのハモンドオルガン
25周年記念コンサート(2011·12·11)桑江知子さんの歌

 地域交流では夏祭りに出展したり、「TABIクラブ」を発足(2006年から)。コスモスバスさんの協力を得て、幾度となく一日バス旅行を開催。温泉や簡単なお花のアレンジメントなどを楽しんだ。
 
 2002年62号からはホームページを開設、本誌のダイジェスト版を公開している。

バブルがはじけても、弾けていたい。人と人がつながる未来を!

 2000年代になると建物にお金が回らない時代がやってきた。しかしバブル期と鎌ケ谷の住宅都市としての発展が重なったことは幸運だった。1999年懸案だった東武線新鎌ケ谷駅ができ、鉄道3線(今は4線)の相互乗り入れが可能になった事が、今や鎌ケ谷の大きな強みになっている。また区画整理事業によって美しい街並が作られたのは、30年後、50年後を考え、市政に取り組んだ先人たちの知恵。  今生きている人々が次の世代にどんな鎌ケ谷を見せてあげられるのだろうか? 私たちも地域に根ざした活動をしながら、人と人がつながり、鎌ケ谷を愛する人の輪が広がることを願いつつ、その一端を担えればと思っている。

☆表彰☆ ・1996年(平成8)千葉県東葛飾地区社会教育連絡協議会 ・1997年(平成9)千葉県社会教育連絡協議会 ・2001年(平成13)(財)あしたの日本を創る協会より「ふるさとづくり賞振興奨励賞」 ・2002年(平成14)鎌ケ谷市 市民賞
☆納本☆  国立国会図書館、千葉県立中央図書館に1号から現在の号までを寄贈。いつでも閲覧可能です。 
☆交流☆ ようこそ鎌ケ谷へ  全国タウン誌会議や関東タウン誌会議に出席、見聞を広めた。また鎌ケ谷来訪の皆さんと一緒に街を歩き鎌ケ谷の魅力をPR。