Cityかまがや123号 2017年秋号


30周年企画 アーカイブ④ 21号(1992年新春号)より
 
そぞろある記⑳ 中世相馬の城 佐津間城址

 「国破れて山河あり」と唐の杜甫が、また「夏草や兵どもの夢の跡」と芭蕉もうたっている。城址にはそぞろ哀愁が漂い、その歴史にロマンを感じる。
 この鎌ケ谷には二つの古城址があるが、今日はそのひとつ佐津間城址を訪ねる。

 場所は東武電鉄六実駅北東500m、大津川の低地を東に臨む標高25mの台地上にある。広さは東西50m南北76m。ここに中世の平山城があった。
 自衛隊の下総基地に通づる東側の道路に立って、その全容を遠望すれば、竹林と照葉樹の緩やかな丘の姿が、確かに昔ここに城があった事を教えてくれる。更に道路沿いの澁谷商店の先の小道を山側に入っていくと、市の文化財指定の立て札がある。そこから坂を登ると、城の本丸に相当する辺りであるが、今は一帯民家が占めて、昔の面影を残す何物もない。ただこの丘陵の中腹の竹林を分け入ると深さ3~4mの昔の空壕を見ることができ、更にその裾を平地まで6m程の急な崖がぐるりと続いている。
 城というと大きな石垣や矢倉を連想するが、中世の城は天然の地形を利用したこの程度の要塞であった。
 史実によればこの城址は、文永9年(1272年)の頃から約300年、下総一帯を領した相馬家の支城であったが、いかなる城主が居たかは明らかではない。相馬家の祖は、関東を制して新皇と称し、その驍勇を轟かせた平将門といわれる。相馬はこの後頼朝の奥州征伐に功を立て、常陸の行方郡に移り、さらに磐城に転じ中村藩6万石として、明治に至っている。「相馬野馬追」や民謡「相馬流山」「相馬盆歌」など、多くの人にその名を知られている。
 この城址に思えば、相馬千年の歴史のロマンは尽きない。
遠景に姿やさしき丘なれど杳き日相馬の城山なりし (遼)▲現在の佐津間城跡(2017.7.29)石段を登ると向う側は住宅街、城跡には竹林が。右側に市の案内板有り