Cityかまがや 123号(2017年秋号) インタビュー
 

専業農家 菊名 茂さん  72歳、ありがとう。

ぷろふぃーる
菊名茂(きくな・しげる)昭和20年4月鎌ケ谷市初富生れ。初富大師組合大世話人。趣味 パソコン、競馬、ひょうたんづくり、自転車など


■先祖は初富開墾入植者■

―5月の東葛印旛大師講の時は大世話人として、ご活躍でしたね。
 大師講は毎年5月1日から5日にかけて東葛地域の札所や掛所をめぐるのですが、今年は佐津間の宝泉院が当番でしたから結願の日は、東葛地域の皆さんがたくさんいらしてくださいました。
 大師講も私の家の初代倉吉の父治右衛門が音頭をとって始めたらしいです。
 平成8年に母が亡くなり9年から参加してます。私も般若心経くらいは暗記したいと思って毎朝仏さまにお経をあげて覚えました。
 平成元年この家を建て替えたとき、おしゃらくに使った手作りの太鼓や鉦、書類など貴重な資料がいろいろ出てきました。鎌ケ谷市の資料館にも寄贈したものが結構あるのですが、大事にしてほしいなあと思っています。

―やはり明治2年の初富開墾で鎌ケ谷に入ったのですか。
 そうです。埼玉県三郷の農家で明治3~4年頃入植したらしいです。長男が三郷の実家を継ぎ、次男倉吉が鎌ケ谷へ来ました。当時の政府の約束でひとり5反5畝+1割ぐらい増歩の開墾した土地をもらえたそうです。1反は300坪です。農業をやったことがない人にとっては苦しい作業で、逃亡者も多かった様です。小作料は三橋彌さんの家に収めていたらしい。
―貴族院議員で三橋記念館を寄付した方ですか。
 そう三橋家は13代にわたって牧士を務めていた家柄なんですよ。でも農地解放で小作している人に土地の権利が移ってしまったので、静岡県の三島の方に転居したらしいです。

■大根と人参を出荷■

―何代目になるわけですか。
 5代目になります。今は大根と人参を作り、市場出荷しています。私と妻と長男夫婦と4人でやっています
―入植当時の苦しさはいろいろ語り継がれたりしていますが、今とは雲泥の差でしょうね。
 私が26歳の時亡くなったおばあちゃんが、昔の事よく知っていた人でした。今から考えるといろいろ昔の事聞いておけばよかったと思います。
 昭和36年中学を卒業すると、父もそんなに丈夫でなかったので、私は農業を手伝いました。その頃でもまだ、機械がなかったので大変でした。今はキャビン付きトラクターだと冷暖房完備ですから、背広来ていても革靴履いていても汚れないですから。ちょっとした時間でも仕事してそのまま出かけることもできます。

―えっ、冷暖房付き、すごいですね。
 その分機械の値段は高いですが、快適に仕事できます。狭い所だから、冷房きき過ぎてしまい「ああ今日は寒かったねえ」なんて言ってます。
―菊名という苗字も珍しいと思うのですが。
 鎌ケ谷には2軒。うちと弟です。栃木県の方にたくさんあるらしいです。でもこの名前をいただいているからにはと三郷の本家には毎年梨をもって挨拶に行っていますし、向こうはお米をもって挨拶に来てくれます。
―それは素敵なことですね。代が変わると親戚付き合いがなくなり、ルーツもわからなくなってしまいますからね。
 父が早く亡くなりましたので、若いうちに一家の主となり、周りの年上の方々とは付き合いがありましたので、昔の話を聞いてはいるほうですが。
―例えばどんな
 光圓寺に初富開墾の「土地紀念講碑」があるのですが、昭和57年頃大山義一さんが音頭をとって、芋粥でもすすりながら、当時を偲ぶという昭和12年頃より途絶えていた会合を復活したんです。20年位やっていました。そのうち大カボチャを作るようになって。新しい人たちがたくさん入ってきて、世代交代ですかねえ。今は私はやめてしまったんですけどね。
*   *   *
 部屋に飾ってあった2枚の浮世絵のような絵が目に留まった。手賀沼で、浮浪者風の人が絵を描いているのを見ていたら、千円で買ってくれと言われましてね。またの日昨日から何も食べてないから千円で買ってと言われて、この間買ったよと言ったら700円でいいやと…でもその後その人の姿をみないという、そんなエピソードを聞かせてくれた。
 優しさあふれるエピソードではあるが、日本髪を結った二人の女性を描いた絵はとても気に入っているように思えた。
 60歳を境にお酒、たばこをやめた。長年やっていた魚釣りも、釣りをやると早死にするといわれて、やめた。毎年誕生日を迎えるたびに元気で生きていられることに感謝する日々を送っている。
 今のところ健康そのもの、今年生まれる孫の誕生を楽しみにしている「幸せ人」である。

▲土地紀念講碑
光圓寺入って左側にある。初富開墾で苦労した祖先への感謝を忘れないため、開墾50周年を記念して、大正7年11月、子孫たちが建てた碑。