Cityかまがや132号(2019年12月1日発行) 


■特集■ 鎌ケ谷愛を届けて33年 Cityかまがや最終号

ありがとうございました
皆様に感謝


 創刊の1987年前後は東武鎌ケ谷駅東口土地区画整理が始まった時代。市民体育館、貝柄山公園、新図書館・郷土資料館、南初富・鎌ケ谷コミセンなど新施設がたくさん作られ、梨ブランデー・ワインが販売された年です。人口が増え、住宅都市に生まれ変わる時でもありました。

 あれから33年、ご協力本当にありがとうございました。各社広告費、期間は様々でしたが、継続してご協力いただけるのはありがたいことでした。各種相談、協賛会社のご紹介また、周年記念にはプレゼント商品を提供くださったりと、皆様の応援がどれだけ力になったことでしょう。

 また創刊号~4号まで、二中前の鎌ケ谷中央印刷さんに印刷をお願いし、2階を編集室として、無料で貸していただきました。
 5号から21号まで市川の弘文社さん。そして印刷費が協賛金を上回る事態になり、月刊myふなばしの中沢編集長のご紹介で、当時のサンケイ総合印刷㈱社長の払えるだけの金額でということで、22号から132号迄発刊することができました。制作部の岸本賢治さんには28年間、赤だらけの校正を丁寧に直していただきました。

 お忙しい中、エッセイ、寄稿、あるいは連載執筆してくださった皆様、誌面に登場した方、イベントに参加した人々、そして賛助会員の皆様。読んでくださる人がいてのタウン誌です。ひとり一人の応援に支えられ、育てていただきました。皆様の人生の記念の1ページになっていれば大変うれしく思います。

始まりは東部公民館
昭和61年度「地域情報誌づくり講座」


 「市民から市民への情報があったらよいのに」と思っていた木田安子館長。当時公民館ではお茶、お花、木目込み人形、書道等の講座が行われていた。人が集まる講座は民間に任せ人が集まらない講座こそ公民館の使命と考えた。
 案の定この情報誌づくり講座の申し込み者は少なく、担当の高岡敏和さん(現鎌ケ谷市都市建設部長)は、公民館に出入りしている人に個人アタック、声をかけ24名の講座生を集めた、と最近になって当時の裏話を聞かせてくれた。

 定年後の長田良さん、榎本正次さんを含めて30~40代の主婦達が参加した。6月3日から7月22日迄、現実に即したミニコミ誌作りのノウハウを教わった。仕掛けに載せられたとも思わず、凡そ10名がタウン誌発刊に向けて動き始めた。

★  ★  ★

 時はバブル期。全国でもたくさんのミニコミ誌が創刊され、全国タウン誌会や関東タウン誌会、NTTでもタウン誌コンクールのようなものを行っていた。
 5か月後の昭和62年(1987)1月15日を創刊と決め、その日に向けて、まずは広告依頼。ニュース探し、原稿作りと遅くまで仕事をした。
 子供も少し手を離れ、昼間の空いている時間を利用した。最初のうちは編集作業に不慣れで、夜になることもあったけれど…。
 しかし活動を続けているうちにスタッフは15名に増えていた。広報かまがや、船橋よみうり、朝日新聞等に発刊のニュースが取り上げられ、期待の高さを感じた。


取材に見えた
鎌ケ谷のめざめ

★経済学の輪読会と勉強仲間たち
  鎌ケ谷の民主化の先導役


 「鎌ケ谷友の会」メンバーの6名(62歳~72歳)の座談会「鎌ケ谷を愛す」(Cityかまがや12号特集)は興味深かった。
 昭和24年頃には若者たちの文学サークルがあった。その中の当時中学の先生であった(のちに慶応大学経済学部教授)飯田鼎さんを教師に、29年から週一度夜8時頃から飯田さん宅に集まり、マルクスの資本論や経済学教科書を輪読していた。

 昭和31年「忠霊塔建設寄付の割り当て」が村から家のランクによって決められてきた。不合理だとガリ版刷りの「鎌ケ谷月報」を出し、考え直そうと村人に訴えた。最初は気心の知れた純粋な10人位の集まりが、勉強会を続けるうちに地域の問題に目をむけるようになっていった。「民主化運動の先駆者だと思っている」と飯田さんは語る。「日本はよくなるという希望が持てた」とも言っている。

 のちに農業委員や共産党の市議会議員として活躍していた石井良一さんもメンバーの一人だった。自宅の「野馬曳き文庫」からいろんな資料を取り出して、戦争前から戦中戦後の話をいろいろ聞かせてくれた。あの書庫にはいろいろな歴史資料が残っているはず、どうなったのだろうか。

★鎌ケ谷の文芸―俳句を中心に―

 牛飼いをしながら俳句の道を追求していた清田松琴(Cityかまがや33号インタビュー、ホトトギス派・高濱年尾の弟子)さんや小倉弦月(Cityかまがや39号寄稿・まごめ食堂経営)さんなど俳句の達人がいた。

 鎌ケ谷の田舎で向学心に燃えていた清田さんは高等小学校を終えると巣鴨中学の通信教育で正岡子規を知り、「日本少年」や「少年クラブ」などに投稿。20歳くらいまで青年学校に通い、22歳ころには俳句も一人前になり、鎌ケ谷のみならず船橋や市原の句会にもでかけた。60歳を過ぎたころやっと高濱年尾先生と面接の機会を得、約束の1時間も前についてしまったとそのうれしかった気持ちを少年のように語っていた。

 松琴さんによると鎌ケ谷では昭和10年ごろはスイカ畑がたくさんあり、儲かった。その他サツマイモ、サトイモなどのイモや麦が中心だったが、戦後野菜農家に変化していく。自分は不器用で野菜作りは不得手で、親の反対を押し切って牛飼いになったが、スイカで2町歩増やし牛で5反歩減らしたと笑っていた。

 後に特集で「鎌ケ谷うし物語」1997年(平成9)を扱ったときは都市化の波で4軒に減少。現在は鈴木牧場のみである。(牧場最盛期は昭和30年頃)

 鎌ケ谷の農家生れの山口巌さんもなかなかの勉強家。やはり俳句が好きで、文章を書くのも好き。農作業しながらラジオを聴いたり、新聞を読み、高名な方々の意見をよく勉強していた。編集室宛にも有名人に手紙を出したその返事をコピーして送ってくれた。年を取り、農地がアパートに変わってから、元気がなくなってきたのが、残念であった。

病む牛の無くて安堵の盆休み(松琴)



★鎌ケ谷に音楽の風が
吹いてきた。


 鎌ケ谷に居を構えた昭和41年ごろから東京のベッドタウンとして、人口が急増し始めた。
 当時は生の音楽を地元で聴くことなどほとんどなかった。ワインを飲みながらレコードを聴こうというイベントがあったように記憶するが、それでは物足りない、何かできないかと友人たちと相談してジャズを鎌ケ谷へ呼ぼうと動き出した。そして1988年(昭和63)にハモンド奏者の田代ユリトリオを呼んだ。当時の中央公民館でのライブは大盛況だった。

 その年市民体育館にて市主催の「ダークダックス・ファミリーコンサート」が開催された。その後何度か体育館でのファミリーコンサートが続いた。一方生のジャズを聞きたいと「かまがやジャズなかま」が発足、田代ユリさんの紹介で北村英治さん、原信夫さん、ジミー時田さん、猪俣猛さん、とジャズマンの友達たちが、バトンタッチで次々と演奏しにきてくれた。場所は殆んどが公民館であった。

 2014年きらりホールができて以来、市内にいて生の音楽が容易に聴けるようになり、佐瀬光代さんら地元出身の演奏者も多く活躍できるようになった。


〝市民の力を結集〟
市制20周年記念事業
創作劇「おしゃれな縄文人」制作

 1991年市制20周年を迎えた鎌ケ谷市は各団体から20のイベントを公募した。人口は9万6368人世帯数2万9966であった。

 編集室では中沢貝塚縄文遺跡取材に感動し、創作劇「おしゃれな縄文人」の脚本を書き上げ、20周年記念イベントに応募。スタッフ、キャストを市民から募集して芝居制作に取り組むことになった。上演一年前から準備し、縄文土器製作や、流山青年の家で、若い人に混じって照明や芝居のノウハウを学んだりもした。

 洋裁の得意な人は衣装を、大工仕事の得意な人は小道具や、大道具、ダンスグループは踊りで参加。料理好きは、差し入れを。プロもうわさを聞いてアドバイスに来てくれたりした。

 1991年9月29日、体育館での2回公演には4歳から78歳までのキャストおよび200人のスタッフの協力を得て、2000人の観客を集め、大成功を収めた。みんなの心が一つになった瞬間だった。

 本づくりをしながら、一方でこういったエネルギーを結集できたこと、地域が一つになれたことは、鎌ケ谷を愛する心が街いっぱいに広がったことだと思う。

 その後、市内で活躍する文化人を応援するという機運が高まり、「ふるさと応援団」活動の一環で、「道楽座」を結成、鎌ケ谷在住の故曽我部和恭さん(声優)演出の「ガラスのらせん階段」を三橋記念館で上演した(1997年10月19日、2回公演)。

 インタビュー、ばとんたっち、特集、街・いきいき等で多くの方々を紹介する一方、ホームページ作成、夏まつり参加、バス旅行企画、講座開設などの地域交流は、「人と人のかけはしに」のテーマを実践する要素でもあった。

▲「相馬野馬追騎馬武者行列」、今年の第45回鎌ケ谷市民まつりは19号台風のため(10月12日)中止。写真は昨年
▲故酒本雅行作「いのち像」除幕式(1991)。貝柄山公園(開園1984)。近くにある小金中野牧の捕込・野馬土手が、2007年国指定の文化財となる
▲成人式。Cityかまがやを配ったり、晴着撮影をし、テレフォンカードづくりなどをした
▲新鎌ケ谷駅周辺工事中。区画整理により、イオン(2004)、アクロスモール(2006)、鎌ケ谷総合病院(2007)、東横イン(2010)、などができ市の中心として夜も人が動いている街に
▲「新鎌ケ谷駅」の開業は
 北総線1991年、
 新京成線1992年、
 東武線1999年、
 成田スカイアクセス線2010年4線の交差駅となる


▲東武鎌ケ谷駅に東口ができ、高架になった(2001)。写真は2018年夏まつり。祭り太鼓の向こうに電車の明かりが輝いている
▲上総掘りの井戸掘り体験2009年秋、西部小にて。今も防災ポンプ、ビオトープに利用している

▲野菜と梨の街かまがや。毎週土曜日の市役所での朝市
▲東葛印旛大師講という東葛地方の伝統行事、一度は見ておきたいもの
▲ファミリーコンサート(1988) ダークダックス体育館にて
▲Cityかまがや10周年(1996.11.3) 皆川圭一郎前市長も音楽大好きでプロと一緒にドラムをたたいた

▲Cityかまがや15周年記念コンサート(2002.1.20)
 鎌ケ谷高校卒業の谷川公子&渡辺香津美
▲ジャズなかま第2回コンサート(1989.1.21) 八城一夫カルテット 東部公民館にて


Cityかまがや 周年記念コンサート
創刊記念 出演者を公募。ロックからおしゃらく踊りまで多数団体出演
3周年記念 地元ピアニスト・渡辺一史
5周年記念 地元歌手・佐瀬光代のうた
10周年記念 石松元と4人のジャズライブ、元鎌ケ谷市長皆川圭一郎飛び入りドラム演奏
50号記念 新谷のり子のうた
15周年記念 渡辺香津美のギターと鎌ケ谷高校卒業の谷川公子のピアノ、ミネハハのうた、江上真悟の朗読
20周年記念 スズキ清勝のハモンドオルガン演奏
25周年記念 桑江知子のうた
※司会はいつも桝井論平さん(元TBSアナ)、明るい軽妙なトーンで盛り上げてくれました。本当にありがとうございました

★創作劇「おしゃれな縄文人」舞台 (1991年市制20周年記念事業〉1991年9月29日、鎌ケ谷市体育館にて、2回公演。Cityかまがや企画制作で市民公募。4歳~78歳迄、のキャストおよび200人のスタッフが協力。2000人の観客を集めた。




▲踊りは岡野恭子さんと門下生、火の精、水の精となって登場

▲衣装は腕が自慢の美女軍団

▲絵なら任せて!体育館の大舞台では絵も大きくて、屋外で製作



千葉県立中央図書館(108号特集)および国立国会図書館には1号から保存されています。

「ふるさとづくり賞受賞」(主催・あしたの日本を創る協会、読売新聞、NHK)表彰。2001年11月本づくりのほか地域活動も評価していただいた