インタビュー

鎌ケ谷を何とかしないと日本が変わらない

鎌ケ谷市新市長 清水聖士さん

ぷろふぃーる

清水聖士(しみず・きよし)。
1960年11月26日広島県生まれ。
84年早稲田大学法学部卒、伊藤忠商事入社。 96年外務省入省。2002年6月24日辞職。 血液型B型。

■ 期待の星 ■

―当選おめでとうございます。
ありがとうございます。

―鎌ケ谷市民は清水さんの学歴や職歴の立派さにびっくりした人が多かったのですが、出身は。
広島県の三原です。

―広島大学の付属小・中学校を卒業ということは、教育熱心だとか、裕福だとか。お父さんは?
職業軍人で、終戦後は歯医者です。特に教育やしつけにはあまり関心がなかったようです。
母は今も健在ですが、かなり愛情を注いでくれました。

―84年、伊藤忠商事入社ですね。北京外国語大学(85〜86)留学やアメリカペンシルバニア大大学院ウォートンスクール卒業(90〜92)は、会社から?
試験を受けて、合格すると会社がお金を出してくれて。

―期待の星だったわけですね。
まあね。でも期待を裏切ったわけです。やめるときはいろいろいわれました。

―なぜやめたいと?
なんとなく外務省のほうが面白いかなと思いまして。

―選挙公報には94年外務省勤務とありますが。
いえ。そのときは伊藤忠から出向の形で外務省に勤務です。
正式には96年です。

―あ、そうですか。96年在米国日本総領事館領事ですね。外交官試験はいつ受けたのですか。
法律上のことはよくわかりませんが、外務公務員法第10条によって、選考され任命されたものと思われます。
(編集部註)
外務公務員法 第10条 外務大臣は、もっぱら財務、商務、農務、労働等に関する外 交領事事務又は特別の技術を必要とする外交領事事務に従事させるためその他特に 必要がある場合には、外務省令で定めるところにより、選考によって外務職 員を任命することができる。

―98年から在インド日本大使館1等書記官とホームページに書いていますが。
98年、赴任した時点では2等書記官でした。2000年2月3日、外務省本省から公電(公式の電報)が届き、それ以降1等書記官という名称を使うことを、本省が許可しました。

―いつまでインドに。
5月までインドにいました。

■ 市長選立候補の動機 ■

―鎌ケ谷との接点が見当たりませんが。
たまたま6月に日本に戻ることになっていて、千葉県に3箇所官舎があるんですが、 くぬぎ山の官舎だけが空いていたんです。

―少しだけ住んだわけですね。
ほんとに数日って感じで。今は東中沢の公団住宅です。

―鎌ケ谷で立候補した動機は。
加藤紘一や井上裕など金権政治が話題になってましたよね。けしからんですよね。 カチッと来ますよね。 今回の不幸な事件は日本全体の問題でもあり、鎌ケ谷は日本の縮図みたいなものです。
まじめに働いている人を食い物にしている面があった。鎌ケ谷を何とかしないと日本 が変わらないと思った。で、まあいいかと思って。そしたら当選しちゃった。

―ええっ!
もちろん、当選するつもりでやりましたけど。

―鎌ケ谷を見た感想は。
緑が多いということです。

―鎌ケ谷をどんな街にしたいと思っていますか。
市民の声が通るまちに。

―具体的にどういう形で市民の声を吸い上げるのでしょう。
定期的に市民と直接対話を。

―市民といっても、それぞれ立場も、意見も違うと思いますが。
まじめに税金を払って生きている人たちが、馬鹿を見ないようにしていきたい。

■ 県道に歩道をつける ■

―公約に「歩道整備5ヵ年計画」とありますが、何か妙案をお持ちですか。
県と相談して安心して歩けるように県道に歩道をつけます。

―市道については。
市道はまだ容易にできます。

―県道はもとより、私たちは生活道路としての市道や私道の充実を望んでいるのですが。
もちろんそれもがんばります。でも、県道は市の思い通りにはなりませんから、まず県と相談して。

―その他の新京成立体交差事業や新鎌ケ谷駅開発事業は?
まだ細かいことはわかりませんが、それらはそのまま続行することになります。

―総合病院の件は?
まだなんともいえません。市民の意見を集約し、考えていきます。

―選挙中企業誘致の話も出ていたように思うのですが。
言ってません。が、それは成田までの新線開通に伴い何か誘致できればということで、特に具体的なことはありません。

―これまでの20年間と、何が変わるのでしょう。
これからはハコモノ偏重ではない、生活者にとって役に立つ税金の使い方をしたい、
ということ。汚職の起きない土壌作りをする、この2点です。

■ 住基ネット ■

―住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)について、鎌ケ谷離脱も検討と一部新聞報道されましたが。
新聞報道はまちがいです。もちろん個人的には心配をしています。ただし6月議会で鎌ケ谷市の個人情報保護条例が一部改正され、個人情報の保護が図られております。したがって行政の継続性という点から、今日から、もうつなげました。
事件がおきた段階で、離脱するようになっています。

―事件がおきてから?
目的外使用とか情報漏えい等の個人情報に影響を及ぼす事態が発生した場合には適切な処置を講じていきます。

■ 甘えん坊 ■

―奥様の反応はいかがでしたか。
しょうがないなと思っているのではないでしょうか。結婚してから2度目の転機ですが、今回の場合、失業するかもしれなかったわけですからね。

―結婚したのはいつですか。
90年です。

―市長の年収と比べて外務省は。
インドではまあまあでしたが、日本に帰ってくると、中央省庁はあまり、待遇は良くないですよ。インドにいたときより市長のほうが少しいいのではないでしょうか。

―4歳の娘さんがいらっしゃるそうですが、ご自分はどんな子供でしたか。
いろんなことをよく質問する子で、面倒がられたようです。また4人兄弟の末っ子のせいか、甘えん坊だったようです。

―子供のころの夢は。
駅の改札口で切符を切る人になりたいと思っていた記憶があります。多分国鉄の制服のかっこよさにあこがれていたんでしょうね。

*    *    *
市長・助役逮捕という中で、清らかさをアピールした清水市長が当選。選んで終わりではなく、これからが始まりです。私たちひとり一人がしっかりと見ていかなければならないのです。
8月5日、就任一週間目。まだまだあいさつ回りに忙しく、事務引継ぎもままならない中、インタビューに応じていただきました。1時間の予定が急に30分に短縮され、秘書課長同席の中で、市長の人柄にまで、話が及ばなかったこと、また鎌ケ谷の文化についても話ができなかったこと残念でした。またの機会に、と願いつつ〜。
石原慎太郎氏は「東京から日本を変える」といいました。東京が変われば、日本は変わるかもしれません。
清水市長は「鎌ケ谷を何とかしないと日本が変わらない」といいます。鎌ケ谷を何とかすれば日本は変わるのでしょうか。
日本を変えるという大きな目標に向かって、清水市長は歩み始めました。10万人の目が今、新市長に期待しています。「がんばらなくてはね、がんばらなくてはね」と繰り返す市長の声が、耳に残っています。うそのない市民に見える政治を行なっていってほしいと願います。

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