Cityかまがや86号
『小金中野牧と縄文人7.
文・鉄人28号 絵・サリーちゃん
 
 本誌前号で紹介していただいた、下総小金中野牧跡国史跡指定記念事業の企画展及びシンポジウム「野馬のいた風景」が三橋記念館で開催され、県内外から多くの参加を得て、盛況裡に終わった。
 また、シンポジウムのポスターの背景絵には、渡辺尚子氏の制作で本誌第81号の表紙を飾った作品を使用させていただいた。  渡辺氏を初めcity関係者のご好意に改めてお礼申し上げたい。

 さて、本史跡のより一層の周知を目指し、4月末には鎌ケ谷=小金牧と深い関係にある、落語界の名跡「金原亭馬生」師匠&一門の皆さんを招き「鎌ケ谷とっこめ寄席」を開催した。

 いうまでもなく小金牧は江戸幕府の軍馬生産施設であるが、時として駿馬も出たようである。  文政2年(一八一九)二月、前松前藩主道広公が小金牧の駒を使い、二日連続で浅草・鎌倉間二往復の遠馬を成功させ、これを滝沢馬琴に駿馬錦風記として記録させている。文政8年には一七五間の馬場を一三三回乗り廻す十里乗切りを行い、さらに、十二月には寒中五日連続、一人五疋乗替えの、鎌倉遠馬を成功させている。
 この驚異的な記録は、たちどころに江戸市中の話題となり、小金牧産馬の名声を高めたのであった。

 同じ頃「東都席上の根元」といわれた落語界の祖、三笑亭可楽の門人(孫弟子)に、歌舞伎役者の4代目坂東三津五郎の実兄で円遊という人がいた。この円遊が、小金原から名馬が生まれるという縁起の良い洒落で初代「金原亭馬生」を名乗ったといわれている。
 爾来、「金原亭」を名乗る落語家は、名前の一部に「馬」の字を用いることを基本としている。  現在の馬生師匠まで11代を数える落語界の名門なのである。  このように、鎌ケ谷と金原亭一門とは深い縁があったわけである。
 ところで、余談ではあるが、悲願であった「ばふんまんじゅう」も実現化し、当日の寄席会場では大好評のうちに完売となったことも、大いに吹聴しておきたい。