タウン情報誌 Cityかまがや88号
『小金中野牧と縄文人9
文・鉄人28号 絵・サリーちゃん
  『分かっているわよね:::。』 普段は滅多に顔を出さないお二人だが、このところちょくちょくやって来る。月初めのうちは他愛もない世間話ですんでいたのだが、冒頭の言葉は締め切りが迫った(過ぎた?)10月末、発行人が私に囁きかけたものである。
 さて、中沢村の三橋家は、牧士たちを統轄する目付牧士であるが、弘化四年(一八四七)の七郎左衛門の「由緒書」が残されている。  それによると、七郎左衛門は本国、生国とも下総であることを初めに明らかにしている。
 初代は三橋権兵衛で、明暦元年(一六五五)八月に牧士に召し抱えられた。祖父の瀬平は宝暦十年(一七六〇)九月に牧士見習いとなり、天明二年(一七八二)に曽祖父の跡を継いで牧士となった。
 また、寛政八年(一七九六)十月には小納戸頭取岩本石見守より、若年寄井伊兵部少輔直朗(越後国与板藩主)からの仰せで目付牧士となることを申し渡された。
 翌九年には岩本から命じられ、駿河国愛鷹牧(現静岡県沼津市など)の捕立てに同行し、捕馬御用を勤めている。そして、同年二月十三日から四月六日までの出張滞在で、日当として銀五匁五分を支給されている。
 また、三月二十八日には東海道原宿(現沼津市)で、岩本から麻羽織を一つ拝領している。
 父の佐四郎は、寛政七年(一七九五)鹿狩の際、御用を勤めた褒美として米一俵を支給されている。  そして、文政五年(一八二二)二月、祖父の跡を継ぎ京極周防守より牧士に仰せ付けられ、翌六年に吉川加賀守の申し渡しにより目付牧士となった。
 最後に、祖父・父・私(七郎左衛門)は、遠慮・逼塞・閉門等のお咎めは一切受けたことがないことを明記している。  この由緒書は、家系譜であり、「お咎め云々」は現代の履歴書の「賞罰無し」に相当するものであろう。わが家の正当性・潔白を主張する史料としても面白い。