タウン情報誌 Cityかまがや90号

夢、再び、 千葉の歴史街道―そのB 銚子〜佐原〜木下街道を走る 〜新屋敷孝〜(元鎌ケ谷市立北部小学校教頭)

 童謡「里の秋」を作詞した斉藤信夫の歌碑が成東駅に程近い成東城址公園の山頂広場にあった。日本人の心の原風景を描き、終戦直後の荒廃した人心を慰めた名曲である。戦争と敗戦・・時代のうねりの中で、ひたすら「童眼童心を通して」童謡を書き続けた一人の教育者の名曲である。昭和16年不本意ながらも“戦時童謡”の創作を試みた中で生まれた「星月夜」が名曲「里の秋」となり、今に歌い継がれていることを知った。斉藤信夫はこのほかにも「かえるの笛」「夢のお馬車」など生涯で11127編の詩作を残している。

 房総の小江戸佐原では伊能忠敬記念館を訪ねた。50歳にして家督を息子に譲り、江戸にでて、天文学や測量学を学び55歳から蝦夷の測量に旅立った。17年間、9回に及ぶ全国の測量を行い、歩行距離9378km、陸上測量距離43708km。地球の大きさを確定し、日本の国土の地球上での位置と形状を正確に把握するという偉業を成し遂げたのであった。  記念館には大量の「測量日記」や実測資料・器具などが展示されており圧倒された。偉大な先輩が測量した全土の海岸線総距離(35000km)をいつの日か走破したいという思いがわいてきた。

 11月20日木下街道(行徳魚岸〜木下河岸36km)を行く。この街道は江戸への物資輸送道であり、香取、鹿島、息栖詣での参詣道でもあった。  松尾芭蕉も歩き紀行記「鹿島詣」に「・・やはたといふ里をすぐれば、かまがいの原といふ所、広き野あり。秦甸(しんでん)(秦の王都付近の地ここでは広々した様)の一千里とかや、めもはるかにみわたさるる」と往時の鎌ケ谷の様子が記されている。鎌ケ谷市指定文化財 魚文の句碑(東鎌ケ谷1― 7)があった。
 魚文は三級亭魚文と称し、芭蕉の高弟服部嵐雪の直系大島蓼太の高弟で1700年代の蕉風復活に力を尽くした人である。平明な俳風を特色としている。魚文も師と同様旅にでて、鎌ケ谷のこの地を通った時に次の句を読んでいる。ひとつ家へ人を吹込む枯野かな  芭蕉や魚文が歩いた往時の鎌ケ谷に思いを馳せながら木下街道を辿った。

(注)新屋敷さん情報  その後4月〜5月にかけて、東京深川から「奥の細道」1900kmマラソン旅に挑戦しました。入山禁止だった出羽三山のうちの月山、湯殿山は7月1日の山開き後走ります。