タウン情報誌 Cityかまがや91号 

『市町村合併と縄文人』幻のA       絵・サリーちゃん 文・鉄人28号

 発行人と編集長が、神妙な面持ちでやって来た。それも、校正原稿と一緒に。拙文を掲載させて頂いてから10年以上たつが、神妙&校正原稿持参は、記憶にない。

 これは何かある、いや、あったと直感したところ、編集長曰く、「今回(前号のこと)の特集は、近隣市との話題なの。偶然でしょうけど、ダブってしまったので一回パスさせて::」  本誌前々号が出来上がった頃だと記憶しているが、発行人から「いつまで野馬土手が続くの?」と絡み付くように問われた。  実は、あと1年以上はこのネタで凌ごうかと目論んでいたわけであるが、既に10回を数えているので、今回(前号のこと)は目先を変えることにしたのであった。  その配慮?の結果が冒頭の神妙&校正原稿となった由である。

 さて、東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会の最終報告が、このほど(でもない)まとまった。  これまでも市の広報誌で、市民意識調査結果の簡易速報がされていた。前号が刊行される頃には完全公表された。

 研究会は、船橋市・市川市・松戸市・鎌ケ谷市の4市で構成されるが、実は、この組み合わせは明治17年(一八八四)に「連合町村」という状況のもとに既に出現しているのである。
 その状況を詳しく見ると、『佐津間村・粟野村・初富村・鎌ヶ谷村』、『中沢村・大町新田・大野村・柏井村・奉免村』、『道野辺村・丸山新田・藤原新田・上山新田・後貝塚村・前貝塚村・行田新田』、また、『軽井沢新田は根村の内』であった。
 その内「初富村」「「大野村」「藤原新田」 は戸長役場所在地で、戸籍作成、管理や徴税・徴兵等の自治行政を行った。
 つまり、市域西部の中沢村は市川市、南部の道野辺村は船橋市、北部の軽井沢新田は白井市域の村々と連合していたのである。  これより5年後、明治22年の大合併により成立する「鎌ケ谷村」=「現在の鎌ケ谷市」は、この「連合町村」が再編された結果である、ということができよう。