タウン情報誌 Cityかまがや92号

『小金中野牧と縄文人』J         絵・サリーちゃん 文・鉄人28号

  前々々号で、文化八年(一八一一)の「狼一件」という古文書について触れた。もう、1年ほど前のことであり、その内容について私自身の記憶も殆ど失われているので、少しおさらいします。
 狼は、明治時代に絶滅したとされる野生動物であるが、野馬が放し飼いされていた牧は、生息地の一つであった。また、野馬にとっては生命を脅かす大敵であった。  牧士が鉄砲所持を許されていた理由は、牧に関わる御用としての狼駆除対策にあった。
 さて、以下に述べる内容は、鎌ケ谷市史研究第18号(2005)に発表された、松本由佳氏の論文によるものである。
 前年の秋頃から、狼らしき生き物が、他所から中野牧内に入り込み徘徊している、という噂があった。そして、この年(文化八年)の2月頃の野廻りの際、狼(親2匹、子4匹)を若白毛村(現柏市沼南町)付近で発見した。  緊急事態であったにもかかわらず、野馬への差し障り、農業への支障になるとして、牧士の見分と牧士預かり鉄砲での撃ち留めの願い出がなされたのが3月であった。  1月から5月は野馬出生の時期にもかかわらず、野馬の大敵である狼について速やかに連絡をしなかったことで後日咎めを受けることになるのであるが……。
 その後、狼捕獲のため山狩りが行なわれ、子狼4匹の内1匹を捕獲、その翌日には五助木戸(現松戸市五香十字路)付近で、子狼3匹を捕獲、親狼のうち1匹が打ち留めとなった。  しかし、親狼の残り1匹は打ち留められず、ようやく親狼を打ち留めたのは、山狩り開始から12日後のことであった。  狼の捕獲に対しては通例として牧士に対し、1匹について金二分宛の褒賞金が下付された。   そのほか、目付牧士に金二分、平牧士・牧士見習に金一分の手当が支給された。  ところが、山狩りに動員された牧周辺の村人達へは、鐚(ビタ)一文も支払われていないようである……。