タウン情報誌 Cityかまがや92号

鎌ケ谷の自然を訪ねて91
Kさんと共に、 鎌ケ谷の自然を訪ねて…、20数年。 写真と文 秋山秀一


 「鎌ケ谷の自然を訪ねて」は、前回で90回目。第1回目から20数年に渡って、ず〜と、Kさんと一緒に鎌ケ谷市内を歩いてきた。  鎌ケ谷市内を歩きながら、お互いになんやかんやと勝手なことを言い合い、写真を撮り、メモをとった。  鎌ケ谷のまち歩きを体験する中で、感動することもあれば、ときに、思わぬ発見があったり、アイデアが浮かんでくることもあった。  いつも、楽しんでまちを歩き、このコーナーの原稿を書いてきた。  Kさんにとっては、ときには、しんどいときもあったかもしれないが、少なくとも、このぼくにとっては、実に楽しいこの20数年間だった。 「市公民館講座の受講生を中心に10人ほどの主婦たちが集まって、季刊タウン誌が創刊され、23年を迎えた。編集員は全員ボランティアである。足で歩き、語らい、まちの出来事を取材する。『まちづくりは人づくり』の信念のもと、人材発掘や人と人との橋渡し役として、ふるさとを大切にする心の輪が、街いっぱいに広がっていく様願いながら、自然・歴史・文化・生活・人などきめ細かい情報を届けている」

*  前号の32ページに、こう書いてある。このタウン誌発行のきっかけになった市公民館講座の、いわば仕掛け人が、Kさんだった。  責任感の強いKさんは、それ以来ずっと、このタウン誌と関わり続け、今日に至ったというわけである。  おかげさまで、このタウン誌は、20年以上にも渡って、鎌ケ谷市民に愛され、読み継がれてきた。  すばらしいことだと思う。  基本的な姿勢が、創刊当時から、全くぶれていないということもすごいことだと思う。  このタウン誌にKさんと一緒にこの間ずっと関わってくることができたことは、ぼく自身にとっても、大いなる喜びである。  Kさんも、20数年、齢を重ね、このところ、腰の痛みもひどくなったようだ。いくら責任感の強いKさんでも、もう、そろそろ…。  ということで、90回という区切りのよいところで、Kさんを解放してやることになった。

*  Kさん、本当にお疲れさまでした。  《茂野製麺》や《私市醸造》がそうであるように、このタウン誌の存在そのものが、今では、もう、「鎌ケ谷の文化である」、といえるようにまでなった、その一翼をKさんが担っていたことはまちがいないと思う。Kさんの存在は、それほど大きかったのだ。  それにしても、20年以上に渡って、年に4回、よくも続いたもんである。  楽しい時間が経つのは早い、というが、本当にそう思う。  今でも、鎌ケ谷市内を散策していると、ときに、Kさんと一緒に歩いたときのことが思い出される。

*  では、この「鎌ケ谷の自然を訪ねて」はどうなってしまうのか(?)と、心配される人もいるかもしれない…。  が、それは、心配御無用。  ここで止めてしまったら、Kさんにも申し訳ない。  実際、市内には、まだまだ気になるところが、たくさんある。  残っていくものも、変わっていくものも、その様を、鎌ケ谷市内の自然を訪ねて歩きながら、そのときの現実の姿を、記録していくことは意義のあることだと思う。  今後は、今回のように一人で書く場合もあれば、鎌ケ谷のほかの「K」さんの話を伺いながら、書くことも…。  実は、一緒に歩いて話を伺いたい人、そんな魅力ある「K」さんが、鎌ケ谷にはまだまだ、いろいろといるのだ。  まあ、今回は、Kさんについて、まるで、追悼文(?)のような感じになってしまったが、存在感のあるKさんのこと、まだまだ引っ込んで、隠居してしまうわけではない。 「今、やりたいことがあって…」  そう言っていたKさんの気持ちも尊重し、感謝の気持ちと、Kさんの今後のご活躍を祈念して、今回は「K」さん特集ということに…。

*  最後に、私事ではあるが、東京成徳大学人文学部に観光文化学科が2010年4月、発足することになり、その学科長に就任することになった。  「フィールドワーク」を重視し、社会人基礎力と多文化理解に基づく観光デザイン力とを備えた、観光のみならず社会の広い分野で活躍する人材を育てていくつもりで、「観光まちづくり」も大きな柱のひとつ。  このタウン誌との関わりも、大いにある。大学は同じ千葉県内の八千代市にある。学科長として旗振りをすることになったが、今後、鎌ケ谷市を初め、県内の様ざまな行政やそこに暮らす人たちと連携していきたいと考えている。 存在感のある、皆さんに親しまれる大学にしていきたい、そう思っている。 (旅行作家・日本エッセイストクラブ会員)