タウン情報誌 Cityかまがや94号

『小金中野牧と縄文人』L  絵・サリーちゃん 文・鉄人28号 

 いざ、これから作文だ!と意気込んだところへ、2トップが突然お出ましになった。原稿催促にはチト早いのでは、と思っていたら、ネタを求めてのご登場でした。  しかし、そのタイミングの凄さには恐れ入りました。
 さて、今回は可愛らしくも牧周辺の村人にとっては困った君的存在?の野馬の系譜を追ってみたい。

 まず、野放し飼いされていた野馬は、洋種馬等の外国産馬と交雑することなく残ってきた、日本固有の在来馬であった可能性が高い。 日本在来馬の起源は、古墳時代にモンゴルから伝来した、地表から背中までの体高が1m30レ前後の蒙古系馬にあるとされる。 近代以前、日本各地には多くの在来馬がいたことが知られる。
 しかし、明治以降、特に日清・日露戦争後に、日本の馬匹改良は、国策としての軍馬増強に主眼が置かれ、馬格の大きい洋種馬との交配による大型化が行なわれた。 さらには昭和14年の「種馬統制法」によってこれがさらに強化された。この大規模な「改良」の結果、多くの地方で純粋な在来馬が消滅するに至った。南部馬・三河馬・能登馬・甲斐駒などである。 しかし、離島や岬の先端など、交通不便な一部地域には、洋種馬と交配することなく、かつての姿を良くとどめる馬群が残された。
 この馬群8種を日本馬事協会が「日本在来馬」として認定し、保護に当たっている。北海道和種馬(道産子)・木曽馬(長野県)・御崎馬(宮崎県)・野間馬(愛媛県)与那国馬(沖縄県)などである。 彼らを競馬のサラブレッドと比較すると、体形はズングリ、胴長で太くて短めの肢、豊かなタテガミや長い尾毛などが特徴である。
 これらのことから当時の野馬は、本誌90号に掲載された木曽馬の『岳富号』のような、蒙古系の在来馬だったことが窺える。  岳富君のような可愛い野馬たちが、牧で野放し飼いされていたわけである。その様子は牧の風景と渾然一体となり、多くの文人墨客によって叙述、描写された。