タウン情報誌 Cityかまがや95号   連載エッセイ48 気まぐれティータイム

▲ふるさとかまがやにて
「母のこと」         江上真悟(俳優)http://ameblo.jp/egamax/
 まだ小さかった頃、母親への呼び名は「母ちゃん」だった。  小学校の帰りに家の前の駄菓子屋で買い食いをしていると、母ちゃんは窓から怖い顔をして睨んでいた。運動会の時はお寿司を作って、一番前を陣取って応援してくれた。よくラジオの懸賞に応募しては小まめに当てていた。バカチョンカメラ(当時の呼び名)片手に写真をパチパチ撮っていた。台所は汚かったが料理は旨かった。
 そのうち呼び名は「母さん」に変わっていった。
 元日の深夜になると、道野辺八幡宮へ二人で初参りに行くのが毎年の恒例だった。この行き帰りの時間が唯一母さんとの交流の時間に思えてきた。その時間も年を追うごとに、歩く速度が遅くなっていく分、長くなっていった。  やがて老いていくうちに、熊本の女学校時代の楽しい想い出を口にするようになった。元気な頃は逆に戦争の体験談を聞かされたが、人の想い出というものは老いと共にだんだん昔、昔へと遡り、楽しかった頃の場面が甦ってくるのだろうか……。
 たまに鎌ケ谷に帰ってくると、母さんは独りでテレビを観ている。眼を患っていたのでちゃんと見えるはずはないのに……。そしてテレビを消しては二階の部屋に戻っていく。そんな日常の繰り返しを想像すると、やり切れなさを感じた。

 九十歳の母さんは今年の夏転倒して大腿骨を骨折し、金属を入れての手術をした。経過は順調に見えた。  ある日の早朝、実家からの電話で母の死を知った。あの時の母ちゃんは死んだ。あの時の母さんは死んだ。  火葬場で骨となった間に黒く焼けた小さなネジがあった。それを持ち帰った。母さんが言っているようだ。「私の体の中にも、真悟と同じように金属を入れたよ」って……。