タウン情報誌 Cityかまがや97号 

『小金中野牧と縄文人』16     絵・サリーちゃん 文・鉄人28号

 小金中野牧の紹介を始めて今号で16回目、丸4年になる。しかし、道は半ばに差し掛かったところであり、ゴールは遥かに遠い。さらなるお付き合いをお願いします。
 ということで、いよいよ牧の最大のイベント「野馬捕り」である。
 野放し飼いのままでは良馬は得られない。そこで牧内の野馬を一ヶ所に集め、選別する作業を行なった。それが「野馬捕り」である。
 記録に残る最古の野馬捕りは、慶長十七年(一六一二)6月に行なわれ、3匹の駒が将軍家へ献上された。その2年後の5月、池田輝政の甥、上野介重利は駿府城で家康に初お目見得した時、「四十里号」という馬を拝領している。  馬の名前からして慶長十七年に献上したうちの一匹と思われる。
 次の野馬捕りは、慶長十九年6月に行なわれ、96匹を捕らえ8匹の駒が将軍家へ献上されている。  この時期は大坂冬の陣の直前にあたり、翌年は夏の陣をおこし、豊臣家を滅亡に追い込んでいる。  風雲急を告げる大戦前夜の野馬捕りであり、鎌ケ谷付近で育った野馬が、大坂で活躍?した可能性はきわめて高い、といえよう。
 次いで元和五年(一六一九)7月、寛永十六年(一六三九)10月の野馬捕り記録があることから、初めは必要に応じ、それから3〜5年に一度行なわれたようである。
 しかし、4歳以上に育った野馬は気性が荒くなり体も大きくなるため調教が困難であるという。  そのことを窺わせる伝承が残っている。牧士清田家の3代勝定は、寛文二年(一六六二)、4代将軍家綱公の御前で優れた馬術を披露し見事に悍馬を乗りこなした。  褒美として賜ったその馬を連れて帰る途中、市川市北方(中山競馬場付近)で突然猛り狂ったので、危険回避のためやむなく首を斬り落とした。後に小祠をつくり、冥福を祈った、と伝えられる。  野馬の気性の荒さ、活きの良さ?が伝わってくるようである。
 ちなみに、この小祠が駒形大明神であり、清田家の墓地とともに市指定文化財となっている。